タマムシシティの池

向こうで書く気がしないようなことをこっちに書きます

結局強さってなんなの

ポケモンをやる上で、ポケモン各個の型の強さについて考えることは避けられないことである。

ただ、この強さという概念は簡単に見えてとてつもなく理解が難しいので、せっかくなので自分の考え方をメモっておくことにする、あくまで個人の考えなのであしからず



まず、第一として「強さ」というものは直接計測することは不可能である。使用率、レートや大会での結果等は、あくまで判断材料のひとつであって、どれも完璧な測定器ではない。
さらに、「強さ」は不確定なものである、物理法則のように見えないが存在するというものではない。

そして、「強さ」というものが不確定なものであり、様々なはかりで測る以上、「強さ」を語るためには必ずある程度の「カタチ」を与える必要がある。

実際に例を考えてみよう。

例えば、あるとてもつよいトレーナーが使用率の高くないポケモンAでレート2200到達したとする。

このとき他のトレーナーがこのような事を言う
「そのポケモンが強いのではなく、彼が強いのであって参考にするべきではないのでは」

よくありそうな話である。しかし、これは冷静に見るととてもおかしいともいえる。

この意見にはこのような反論ができる
「強いトレーナーがポケモンの実力の全てを引き出す状態でこそそのポケモンの強さの理論値を測ることが可能であり、弱いトレーナーが使えなくても理論値が高いなら強いポケモンなのではないか?」

つまり、ポケモンAは強いトレーナーがつかえば80の強さだが弱いトレーナーがつかえば強さは30になる
この状態において強さの基準は強いトレーナーが使った状態ではないのか?
ということである

さらに、この意見にはこういう反論もできる。
「そもそもどんなポケモンも立ち回りを含めた理論値は高いはずであり、理論値を引き出せるトレーナーの割合を考えれば多数のプレイヤーの引き出せる強さの平均値を取るべきである」

上の例なら
80の実力を引き出せるトレーナーが数人しかおらず、大多数のプレイヤーが引き出せる力が50程度なら50の強さを持つポケモンとして扱うべきでは?
という話

どちらも間違ってはいないのでどうこうは言わないが、この「強さ」の捉え方はまた別の事象をもたらす。

考えてみよう、理論値を強さの基準として考えるトレーナーが強さの判断基準にするのはなんだろうか?

当然、使用率やテンプレ等はあまり考慮されない、レートや大会での上位、しかも最上位を判断材料として考えることになる。
例え使用率が低かったり、他のプレイヤーが全く使いこなせていなくても、強いポケモンとして評価することになる。

対して、強さの平均値を取るプレイヤーは一部の特出したプレイヤーはあまり考慮しない。上位で流行ったという要素を重視するはずである。

実際は、これに型の考慮の有無や複数シーズンに渡っての変化などが加わるのでもっと複雑化するが。



んで、もうひとつの問題。

「強さ」というものが明確なはかりかたを持たず、しかも人によってあやふやである以上、「強さ」について述べる意見に対して間違っているということを述べることはできないということである。

強さについての話は、「正しいか間違いか」ではなく「各個人の考える強さに近いか遠いか」である。

そして、「各個人の考える強さ」自体も正しいか間違いかではなく近いか遠いかなので、そもそも間違いか正しいかで問うのがおかしい。

間違いだと言うためには「相手の強さの考え方を理解し」、「相手の考え方を使って強さを考え」、「相手の考え方で弱いという論理的な根拠を出す」もしくは「相手の強さに対する捉え方を否定する」必要があるからである。

まあまず無理である。先にのべたように基本相手側自体が「強さ」を頭のなかで明確化してないからだ。

強さに関する反対意見を述べるなら「私の考え方ではこうなるので弱い」とあくまで一意見として述べるべきである。


最も、批判できる要素もある、無知である。
つまり、個人のはかりで測るときに、測るべき場所を測っていなかったり、測ってはいけない場所、測らなくていい場所を測っいるのなら、それは「君はそこを測っていないのでは?」と言うのはまあ当たり前。



強さを考える上では、「まず自分の考える強さ」を明確にし、「自分と同じような考えで強い人」と「自分とは考えが違うけど強い人」の両方の意見を考えながらカタチにしていくことが大事ってことでひとつ。


そんな感じ、哲学的な要素が入ってくるのでむずかしいですな。